第130回目「地図で読み解く 合戦の日本史〜4」(歴史の謎研究堺編)

<ポイント>

  • 技術の差が勝敗の差
  • 現実を知る
  • トップの方針・指導で決まる

<対象となる人>

  • 日本史が好きな人
  • 近代日本形成に興味のある人
  • 時流を的確に掴みたい人

<Principle(面白いこと3点)>

  • 西欧で既に平和団体があった
  • 強いものから学ぶ・真似る
  • 時代の変わり目には天才が生まれる

So What?/True? (Answerは皆さんも考え下さい)>

  • 近代戦争を見ても武器・技術、物量を持っているものが力の差となっている。これを企業に置き換えるとどうなのだろうか。確かに、ITを上手く運用している企業は優位に立っているところがある(特に、グローバルな世界では)。技術、物量をもっていないところは、どう戦っていけばよいのだろうか(ノウハウやその他のもので勝負していく)。

この本に興味を持てば→決定版 地図で読み解く合戦の日本史


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<抜粋>(かっこ内は私の意見)
青(客観重要、まあ大事)赤(客観最重要、すごく大事)緑(主観大切、おもしろい)


4.江戸・明治時代
(1)大坂冬の陣・夏の陣:1614年/1615年 難攻不落の大坂城攻略で、家康が仕掛けた謀略
(2)島原の乱:1637年〜1638年 攻防四ヶ月、島原に立てこもる一揆勢になされた非情の殉滅作戦
(3)シャクシャインの乱:1669年 アイヌの誇りをかけた決死の蜂起の真相

  • 和人によるアイヌ支配は十五世紀に入り、道南地方に和人が定着し始めたあたりから始まった

(4)大塩平八郎の乱:1837年 大塩の決起が幕府にあたえた意外な波紋

  • 町奉行所与力による反乱ということで、この事件が幕府に与えた影響は大きく、幕府は改革(天保の改革)を余儀なくされる→これが行き過ぎたため一層庶民の反発を招き、倒幕運動の呼び水ともなる

(5)薩英戦争:1863年 熾烈な激闘の果てに生まれた討幕の気運

  • この交戦で薩摩藩は西洋の軍事力が日本のそれをはるかに上回っていることを知る⇒驚嘆し、攘夷の無謀を悟った
  • 英国軍は、鹿児島湾で薩摩と交戦した際、砲撃によって城下や一般市民にまで被害が及んだ→フランスなどの宗教団体や平和団体に知られるところとなり、彼らがそのことを英国に強く抗議⇒英国は強硬姿勢を崩さざるを得なくなった
  • その後、薩摩と英国は急接近する⇒両者は新密度を増し、維新への流れを加速する一因ともなる

(6)禁門の変1864年 幕府と長州軍の激戦で三日間燃え続けた京都

  • 六月五日、長州の尊攘派を激昂させる決定的な騒動が京都で起こる⇒「池田屋事件」→新撰組によって主だった尊攘派の同志が処断されたことで、長州では報復論が沸騰、ただちに上洛軍が編成された

(7)長幕戦争:1864年〜1866年 長州との戦いで完膚なきまでに打ち破られた幕府の揺らぎ

  • 禁門の変後、姿を隠していた桂小五郎木戸孝允)が帰藩し、さらに、その桂が一人の逸材を登用して藩の軍制改革にあたらせた→その逸材とは軍事の天才、村田蔵六大村益次郎)→蔵六の指揮のもと、長州軍は戦術も装備も徹底して西洋式に改められた
  • 実はこのころ薩摩藩は敵であるはずの長州藩と同盟を結ぶ運動を水面下で進めていた⇒両者を仲介したのは土佐の坂本竜馬だった
  • 何と言っても、装備に雲泥の差があった⇒幕府軍のそれは戦国時代に使っていた骨董品のような火縄銃、対する長州藩は最新のミニエー銃を装備していた
  • 幕府ともあろうものが一地方藩に軽くひねられたというので、その権威は地に堕ち、今まさに命運が尽きかけようとしていた

(8)戊辰戦争:1868年〜1869年 鳥羽・伏見、会津箱館・・・、激闘の果てに見えた新しい時代

  • 新政府軍大総督府参謀であった西郷隆盛旧幕府軍総裁勝海舟との間で秘密交渉が進められていた→江戸・高輪において西郷と勝が会見し、江戸無血開城が決まる→三月十四日に行なわれた二人のこの会談によって間一髪、江戸は焦土になることをまぬがれた
  • 約一年半に及んだ戊辰戦争終結をみた⇒その間、あまりにも多くの人が倒れ、血を流した⇒そうした尊い犠牲を踏み越えて明治近代国家は誕生した

(9)西南戦争:1877年 最強薩摩軍団の決起と、田原坂の攻防戦

  • 「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂・・・」
  • 田原坂:熊本城の北方にあり、城を築いた加藤清正は城北防衛の要地と考えていた
  • この田原坂で政府軍と西郷軍は十七日間、間断なく弾を撃ち合った
  • 源平から明治維新まで武家の世はおよそ七百年間も続いた
  • 西郷隆盛こそは、その永い武家の世に終止符を打つために−言い換えれば日本を封建国家から近代国家に生まれ変わらせるために天がこの世に遣わした男だった



<今日の「これ愉快」>(こ:根拠、れ:例、ゆ:ユニーク点、か:仮説、い:意見)

  • こ(根拠):少ない人数で戦うには、最新の技術、戦略がより重要になる。
  • れ(例):小さな企業でも、そこにしかできない技術を持っていれば世界でオンリーワンになっているところもたくさんある。
  • ゆ(ユニーク点):自分(自分達)に足らないところが明確で、そらが将来的に必要であれば、(すぐに今の誤りに気づいて)修正できるかどうかが大切。
  • か(仮説):今のやり方に執着していると、やがてそれが古く使い物にならなくなって将来の戦いに負けてしまうことになる。常に、次を考える目をもつことが大事。
  • い(意見):最近、また強さを取り戻している日本女子バレー。柳本監督は、3Dバレーに取り組んでいるという。そして、これが完成するときは、イコール、それ自体が古い戦法になっているときであるとも言われている。そういう考え方をする監督だからこそ、次々と新しいことを研究し取り組んでいき、結果、チームが強くなってきたのかも知れない。

<気付き>
「筏の譬え」で釈尊が語ったように、上手くいったことに執着していると、それが次に前に進むことの障壁になってしまうことがある。いつも、原理原則や信念はしっかりと持っていた方がよいが、それ以外のものは次を見据えて考え、そして、良いものは積極的にまねて行きたい。自分の昔の成功にとらわれ、それが時代遅れにならないように。

<今日の一言>
「時の流れを見据え、自分の成功に執着せず、良いものは積極的に取り入れていこう。」



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参考)「筏の譬え」:簡単に言うと、以下のとおりと思います。旅人が大河を渡るために、筏を作り、それで河を渡った。筏は大河を渡るのに非常に役立った。これで大河を渡ることができ、旅を続けられる。この筏は非常に役立ったので、この筏をこれから担いで旅をして行こう。
あなたは、あなたの筏を背負ったまま行動していませんか。



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